こんにちは!
公認会計士・クリエイター業専門税理士の三橋裕樹です!
わたしは昔から、趣味や興味があることについてあまり深く極めることができず、
いろいろなことに手を出してはすぐ辞めて、広く浅く生きてきた自覚が正直あります。
今回は、そのことについてずっと感じてきたコンプレックスと、
最近ようやく別の視点で考えられるようになったことを書いてみようと思います。
広く浅い自分
たとえば子供の頃にやっていた釣り。
お小遣いで釣具を買ったり、兄の道具を借りたりして、近くの海で気ままに楽しくやっていました。
それこそ真冬の朝4時くらいに海に行ってたりもしたほど。
でも、いつの季節に何が釣れるか知らなかったですし、高級な釣具にも興味がありませんでした。
川釣りも別にやりたいと思わなかったし、「もっと違うポイントで釣りたい」というこだわりもない。
そうなると世間でいう「釣り好き」には該当しないでしょう。
キャンプも同じ感じ。道具やギアを見るのも買うのも好きですし、今も行きたい気持ちはあります。
でも、妻が行きたくないと言えば無理に連れていこうともしませんし、自分ひとりで行くこともありません。
行く機会がないなら「それはそれで」と納得できてしまう。
ゲームに関してもそう。昔からずっと、ゲームがうまい人には憧れがあります。
でも、1日のほぼすべてをゲームに費やす生活を続けることはできませんし、
いろいろ難しいことを考えながらプレイするのは苦手です。
ちなみにドラクエ5に関しては、もう何周プレイしたか分からないくらいですが、
縛りプレイやRTAをするほどではないですし、アイテム回収も適当、仲間にするモンスターもだいたい同じ。
洋服も同じようなもので、ファッション雑誌を見るのは好きですし、
おしゃれな洋服屋さんに入るのも楽しいので、いろいろなブランド名を知ってはいます。
ただ、自分が着る服に関しては「基本はユニクロで十分だよね」と考えてしまうので、
いわゆるハイブランド品とか百貨店に入ってるようなお店の洋服を買うことは滅多にありません。
広く浅いことをずっとコンプレックスに感じていた
こういう性格なので、同じ趣味を持ってる人に「〇〇好きなんでしょ?」と聞かれても、
その人の熱量に合わせることができなくて、それがコンプレックスだったんですよね。
キャンプ好きといえば、「最近いつキャンプ行きました?」って話になるし、
洋服好きといえば、「今年はどんなアウター買いました?」みたいな話になる。
ゲーム好きなのに、週平均で1時間もプレイしてないなんて人は基本いないでしょう。
相手が「当然に期待していること」に応えられないと、
やっぱり申し訳ない気持ちになるもので…。
逆に、狂っているくらい何かに打ち込んでいる人は「自分の人生を生きてる」ように見えて、
それが仕事であれ趣味であれ、素直にカッコいいと思います。
広く浅くは自由ともいえる
ただ、よくよく考えてみると、広く浅くいろいろなことに触れてきたからこそ、
「なんとなく分かる」「少しは経験した」ということが、わたしの中にはたくさん蓄積されています。
誰かが釣りの話をしていても、キャンプの話をしていても、
ゲームの話をしていても、ミニ四駆の話をしていても、ファッションの話をしていても、
完全に極めた人のようには語れなくても、話についていくことはできますし、
その面白さの一端くらいは分かる。
そして何より、一つのことに執着していないというのは、
それはそれで自由なんじゃないかと最近は思えるようになってきました。
飽きっぽい、ミーハーと言われればそれまでかもしれません。
でも、やりたいことができないならできないで、「じゃあ別のことをやればいいか」と切り替えられますし、
ひとつのことにのめり込んでお金を使い過ぎることもない。
人は何かに深くのめり込んでいる分だけ、それを手放すことは難しくなります。
良くも悪くも、極めた分だけその趣味や仕事に自分のアイデンティティが結びついてしまい、
簡単には離れられなくなってしまう。
そう考えてみると、わたしにとって本当に大事なのは「深さ」よりも「身軽さ」なのかもしれません。
これから先も、何かに人生を賭けるくらい打ち込むことはないかもしれませんが、
いろいろなことにカジュアルに首を突っ込みながら、興味が向いた方へふらふらと進んでいく。
そういう生き方も私らしいですね。

